今回は、地域密着の企画組織「Ideapartners」代表・山本一輝さんのIKIKATA。
リクルートを経て、「Ideapartners」として教育支援を中心に様々な企画に広く携わる山本さんですが、「教育」に携わる意識を持つにいたったキッカケと、その経緯はいったいどのようなものでしょうか?
教育支援を本格的にスタートさせた山本さんに、今の教育の課題や、教育に携わるマインド、そして「生き方」をお聞きしました。
具体的な業務
—これから独立される山本さんですが、今後どのような業務をしていくかを教えていただければと思います。
新しい仕事を始めるにあたって、ダブルワークを予定しています。
1つ目が代表を務める「Ideapartners」です。
以前の職場で培ってきたスキル。具体的にはマーケティングや企画力、クリエイティブのスキルを用いて、地域の教育機関、企業、NPO、学生団体を支援をしていく社会起業。かっこよくいうと「ソーシャルアントレプレナー」として、課題解決を支援していきます。
2つ目が新潟を拠点とするベンチャーで、教育支援を行っているNPO「みらいずworks」へ参画します。
みらいずworksは、小学校や中学校、高校にお邪魔し、ファシリテーションを用いた授業の提案や研修の企画を行い、インタラクティブな授業をするためのコーディネートを行います。
他には地域の企業などと連携し、高校生に対して「仕事のやりがい」というものを授業に取り入れたキャリア教育や、新潟県佐渡市で「地域課題解決型授業」のコーディネートなどをしています。他にも、定期的に小中高校生向けのキャリア特集の記事も新聞で掲載しています。
みらいずworksでは、主に大学生の支援、事業デザイン、冊子の企画編集・渉外などの業務を担当しています。
—Ideapartnersの仕事は、どのようなものがありますか?
日本は人口減少に技術革新、グローバル化に伴い、これまで以上に予測困難な社会となっています。例えば教育界では戦後70年で一番の変化といわれる教育改革の只中であり、具体的には2020年にセンター試験がなくなり新たな試験がスタートし、高校の学習指導要領の変更などが予定されている。
人口減少に伴いこれまでのような国際競争力の維持が困難となるなかで、アクティブラーニングやキャリア教育をより一層充実させ、世界でも通用する人材の育成が教育現場に求められています。
こうした中で、これからの社会のあり方に即した人材の育成と多様性に富んだ働き方や生き方を地域でも一層広げる必要があるのではないかと考えており、教育現場に留まらず企業、NPO、行政など、各地域の組織団体や個人の課題解決のための企画を行っていきます。
では、なんでもやるのかというとそうではなく、特に教育や地域活性化など社会性の高いテーマに対峙している団体や個人を支援していきたいと考えています。我々の団体は拠点が異なり、代表である自分は新潟、副代表は神奈川と離れています。
だからこそ、それぞれがクラウドワーカーとして個々に有するネットワークを活かして仕事をしていきたいと考えていますが、こうしたこれからの時代に合わせた働き方を自分たちが「ロールモデル」として地域で発信していくことも一つのミッションですね。
やはり教育には思い入れがあるため「教育現場を変える」という取組みを自分の地元である新潟から発信していきたいと思っています。これはみらいずworksでの業務も同様ですね。
今の仕事に就いたキッカケ
中学で受けた「いじめ」
大学時代から教育には関心がありまして、心理学科で教育心理学を勉強していて。教職(課程)もとっていたんですね。それを活かして仕事をしたかった。
もっとさかのぼると、中学時代、私は1年間いわゆる「ひきこもり」だったんです。小学校でのいじめが原因でした。3年間不登校でしたが、そのころにフリースクールの先生や臨床心理士の方との出会いもあって。そういう出会いがあったからこそ、(社会)復帰できたという経緯があり、高校時代に心理学を勉強したいと思うキッカケになったんです。
家庭の事情で高校時代は勉強しながら働き、進学を目指していました。勉強する時間自体はほかの高校生よりも極端に少なかったけれど、社会に出るという意味では周りよりもずっと早かったといえますし、「お金の大切さ」も知っていたといえます。
—それはすごい強みになりますね
今になって、そういった「社会経験」がとても大きいと感じていますね。進学も家庭の事情を理由に諦めたくなくて、大学進学のためのお金を貯めるために働いていたのですが。
それだけの思いをもって進学した大学では、「絶対講義を休みたくない!」と考えていました。「同じ学費を払うのなら、勉強しないと損だな」とも考えていましたね。そのころも週3日以上はバイトをしながら勉強していました。
年相応に「遊ぶ」ということはあまりしてこなかったんですが、そういった努力は、今も活きているといえます。
—山本さんには、すごく「生命力」があふれていると感じます。
就職と東日本大震災
就活の時期は、「リーマンショック」の煽りを受けて大変な時代でしたが、それ以上に私が就職してから2年目で起きた震災で「昨日まで元気に働いていた人が働けなくなる」という状況に直面したことは、自分にとって大きかったですね。仙台駅で仕事中に被災したのですが、人生のターニングポイントになりました。
また、「人って、いつ何が起こるのか分からない」そう考えたときに、自分がいつ死んでしまうかもわからないのに、残された自分がやりたいことをできないというのは、震災で亡くなった方々に申し訳ない、という風に思うようになりましたね。
そのころ、大学時代まであった「教育にかかわるシゴトがしたい!」という気持ちが薄れていたのもあって、いま自分がしているシゴトを振り返って「これは違うな」と、そう考えるようになって。
そこで、当時のシゴトを辞めて転職しようと思ったんですね。忙しさで忘れていたけれど、そこで「自分が本当にやりたいこと」に近づけるシゴトをしようと思ったのは、そういった経緯があります。
故郷・新潟への思いと、「修行」
教育に携わるというシゴトは、自分の地元である新潟でやりたいと思っていました。でも、「今、このまま新潟に戻ったとしても何にもできない」とも考えていて、そこで一旦「武者修行」としてどこにでも通用するスキルを付けてキャリアを積んで、独立ができるようになろうと思いまして。
「武者修行」としてリクルートに入社し、大学や専門学校、高校などを直接見る機会を得ました。そこでの経験は、今のシゴトに活きていますね。
—そういった、自分のやりたいことを現実にするための考え方も、原体験としていじめを受けたことが関係しているのでしょうか。
やはり、中学のころの体験があったので。自分は救ってもらえた、自分は運がよく復帰のきっかけとなる出会いがあったけれど、そういう機会に恵まれずに、自分の殻に閉じこもってしまう人も多い。日本には不登校の小中学生は約12万にいると言われています。
社会や自分の将来を悲観してしまっている人も沢山いて、立ち直れずにいる人も少なくないはず。日本の子どもたちはOECDの調査を見ても、将来に対する展望や自己肯定感に関しての項目は諸外国と比較し下位となっています。
いわゆる「社会の勝ち組」の人が、そういった人たちに対して何かを伝えるといっても、やはりそういった経験がない人が言うのでは伝わり方が異なってくるのではないかと私は思っていて。自分はそういう経験をして、乗り越えてきたからこそ、言えることを伝えていきたい。
自分でいうのも何ですが、僕はアウトローなキャリアを積んできています。恐らく奇抜なキャリアだと思いますが、ある意味それは「個性」といえます。その個性は、ある特定の面では優位性になり、私のブランディングにもなります。そんな僕だからこそ伝えられるものを、残せるものを、自分の人生を示して伝えていきたいと考えています。