株式会社つるかめ伊藤 順哉氏が語る、これから求められる介護職とその未来

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今回は、山形県で介護施設・サービスを展開している株式会社つるかめ取締役、伊藤順哉さんのIKIKATA。

介護職を「天職」と語り、介護・福祉の未来や仕事を笑顔で話してくれる伊藤さん。

取締役として、一人の介護職として…様々な視点から「介護」をよりよくしていこうとする伊藤さんのインタビューから、これからの時代を生きるための”仕事”に関する多くの学びを得ることができます。

 

具体的な業務

 

「株式会社つるかめ」で経営とサービスの品質管理、介護サービスの開発をしています。

 

新しくオープンした介護予防センター「歩くつるかめ」。天童市にある施設のうちのひとつ。

新しくオープンした介護予防センター「歩くつるかめ」。天童市にある施設のうちのひとつ。

様々な形状のドアノブをトイレに設置。たとえ手が不自由になっても、自分に合ったものは必ずあるという安心感と、リハビリとして活用できる仕組みが施されている。

様々な形状のドアノブをトイレに設置。たとえ手が不自由になっても、自分に合ったものは必ずあるという安心感と、リハビリとして活用できる仕組みが施されている。

まさかのビリヤード台!伊藤さんのアイディアが光る。

まさかのビリヤード台!伊藤さんのアイディアが光る。

カラオケルームでは利用者の方々がいつも自分が歌う曲をメモしているそう。

カラオケルームでは利用者の方々がいつも自分が歌う曲をメモしているそう。

 

ご利用者の夢を叶える事と、スタッフの夢を叶えるのが私仕事。そのための組織づくりをしていますね。施設のサービス品質の管理や経営、リーダーはじめスタッフの能力開発と育成です。

「高齢者の夢をカタチに」「スタッフの夢をカタチに」

自分たちが施設を利用する年齢が来たときに自ら行きたいと思える場所、楽しみや夢を持ち続けたいと思える場所を、しっかり社会資源として作ることを目指しています。

想像以上のサービスをしていく必要がありますから、何事にも先駆的に挑戦するようにし、リスクを考慮しすぎて、何も変われない事を逆に怖れるように日々経営している、といえます。

 

今の仕事に就いた経緯・キッカケ

 

 

今は、介護の仕事を「天職」だと感じていますし、とても「働きがい」があります。でも、最初から介護業界を目指していたわけではありませんでした。

 

「家業の跡取り」ではなく、自分の「やりたいこと」に進む

私の家は祖父、父が会社を経営しており、子供の時から商売人の子として育ちました。

祖父は私を三代目の跡取りとして自分のことを期待していたようでしたが、両親には「会社を継ぐことは考えなくていい」と言われていましたね。ですから、私自身も会社を継ぐことはまったく考えていなくて、白紙から「自分のやりたいこと」をやろうと思っていました。

 

「トップガン」に影響を受け、航空業界を目指す

映画「トップガン」の強い影響を受けまして(笑)  航空業界へ進む夢を持ったんです。

将来は飛行機に携わる仕事がしたいと、親友と飛行機整備の専門学校の説明会に行ったんですが、精密な機械と向き合う現実を見て「ちょっと違うかも」と感じたんですね。結局は、抱いていた大空への夢をあきらめました。

親友は夢を叶え飛行機の整備士として大空を飛んでいます。空を見上げ飛行機を見る度に、「あいつも頑張っているんだから俺も頑張ろう」って思えるのは、一度は同じ夢を見たからなのかもしれません。だから飛行機は今も自分の大切なモチベーション源です。

 

経理の専門学校での「介護ボランティア経験」

当時はバブルがはじけて、公務員や銀行などの「事務職ブーム」だったんです。そのころ自分に自信がないと感じていた私は、そのブームの流れで経理の専門学校に進みました。

専門学生1年目のとき、介護施設でのボランティアをする機会がありまして、そこで大きな衝撃を受けたんです。

20数年前です。具体的には、職員の方がおじいちゃんやおばあちゃんを叱りつけたり、怒鳴ったりしているということ。こちらからそっとおじいちゃんに話しかけると(利用者から)睨まれ「早く殺してくれ」と言われてしまうような状況でした。

「施設の雰囲気が重い」…そんな感じでしたね。

僕は親が会社を経営していたこともあって、おじいちゃんおばあちゃんっ子だったんです。だからお年寄りのイメージって、自分のおじいちゃんおばあちゃんなんですよ。

しかし、施設にいるおじいちゃんおばあちゃんを見ていると、覇気もなく、表情が暗い。自分の知るおじいちゃんおばあちゃんは、そこにはいませんでした。

当時、とても嫌な気持ちになったのを今でも鮮明に覚えています。自分のおじいちゃんおばあちゃんがもっと歳をとったら、こんな扱いを受けてしまうのだろうかと思いましたね。

 

ボランティアで受けた衝撃 -介護の専門学校への進学と施設就職のキッカケ-

「絶対にそれは嫌だ、何とかならないのか。どこもこんな施設ばかりなのか。」という思いが湧きました。それがこの仕事を目指したキッカケです。当時は、自分がその道で独立するとは考えてもみませんでしたが。

そして経理の専門学校を卒業後、介護の専門学校に入りました。そこで学び、実習などを通じ素晴らしい施設ともめぐり合い、介護の本質を学ぶことで夢が持てるようになりました。

地元の介護施設に就職し、その後は周りの人に恵まれて様々なチャレンジをする機会がありました。また、自分の勤務地だけではなくて、様々な施設の方と交流を持つ機会を自分で設け、会いに行きました。それだけ、この仕事に興味があったということだと思います。

もちろんそのチャレンジの中で失敗も成功もありましたけど、今の仕事に繋がる経験になっています。今でも、職員と意見交換をする機会を大切にしていますし。

そういったチャレンジを続け8年経った時、ふと「いい介護施設ってなんだろう?」と考えてしまったんです。でも、「いいこと」ではなくて「正しいことをやる」と考え直しました。その発想が、今の「自立支援」にこだわったサービスが誕生するキッカケになったんです。

伊藤順哉(いとう・じゅんや)山形県尾花沢市生まれ。専門学校卒業後、山形に戻り社会 福祉法人に入職、特別養護老人ホーム、デイサービスセンター、居宅介護支援事業所での 勤務を経て、平成16年に最期まで愛する家族と「家」で暮らして欲しいという想いで起業。介護予防と自立支援にこだわり、天童市でデイサービスセンター、リハビリショー トステイ、居宅介護支援事業所、グループホーム、小規模多機能、介護予防センターの8 つの事業を行っている。現在は、法人経営と主任介護支援専門員として業務を行う傍ら 、県内外での講演や、介護支援専門員研修の講師、介護系専門誌の執筆を行っている。別に、社会福祉法人の理事やNPO法人の副理事長も務め、山形県内の介護サービスの質の向上に携わる外部評価機関や、山形県の委託を受け情報公表センターを運営している。

伊藤順哉(いとう・じゅんや)山形県尾花沢市生まれ。専門学校卒業後、山形に戻り社会福祉法人に入職、特別養護老人ホーム、デイサービスセンター、居宅介護支援事業所での勤務を経て、平成16年に最期まで愛する家族と「家」で暮らして欲しいという想いで起業。介護予防と自立支援にこだわり、天童市でデイサービスセンター、リハビリショートステイ、居宅介護支援事業所、グループホーム、小規模多機能、介護予防センターの8つの事業を行っている。現在は、法人経営と主任介護支援専門員として業務を行う傍ら、県内外での講演や、介護支援専門員研修の講師、介護系専門誌の執筆を行っている。別に、社会福祉法人の理事やNPO法人の副理事長も務め、山形県内の介護サービスの質の向上に携わる外部評価機関や、山形県の委託を受け情報公表センターを運営している。

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