今回は、「cakes design office(ケイクスデザインオフィス)」グラフィックデザイナーである大沼兄昌さんのIKIKATA。
「地域活性化とデザイン」という大学院時代の研究テーマを自身のキャリアとともに深め、独立開業した大沼さんの活動と、シゴトにおけるポリシー、デザインの定義についてお話を頂きました。
「インフォグラフィック」「地域活性化」など、多彩な角度からデザイナーとして活躍されている大沼さんの生き方から、私たちは「今すべきこと」「好きなことを深めること」に関する重要な学びを得ることができます。
Contens
具体的な業務
「cakes design office(ケイクスデザインオフィス)」代表として、グラフィックデザイナー、ディレクターをしています。
「グラフィックデザイン」とは、「平面のデザイン」とも呼ばれていて、平面の上で文字や画像、色使い等を使って、情報やメッセージを伝達するデザインのことです。
デザインという言葉は非常にイメージが曖昧で、それでいて全ての人が当たり前に口にする言葉になっているかと思います。
カッコいいビジュアルを創るのがデザイナーの仕事だと思われがちですが、私は「まず問題が先にあって、その問題を解決するために最適な手段や手法を選択し、実行すること」がデザイン(設計)であるという考え方にのっとって、いかに情報やメッセージを適切に伝達し、その効果をあげられるか(コミュニケーションを後押しできるか)を重視しています。
たとえば、チラシのビジュアルを作るということだけではなく、チラシを通してクライアントの考えている先にある色々な可能性を”提案”するというカタチでシゴトをすることが多いですね。
考えてモノを作るという部分はデザイニングですが、本質の業務内容はコンサルティングに近いかもしれません。
—具体的に、どのようなデザインをされているのですか?
学生時代から「長い文章を読むよりもグラフ1枚で理解できる方がいい」という考えをもっていまして、グラフィックデザインの分野では「インフォグラフィック」という分野に関心をもっていました。
「インフォグラフィック」とは?
情報、データ、知識を視覚的に表現したもの。情報を素早く簡単に表現したい場面で用いられ、身近の例ではアイコン、グラフ、標識、地図、路線図など様々な場面で使われている。
「インフォグラフィック」は情報を整理してわかりやすく伝えるという意味で広告の分野と相性が良いと思っていまして、非常に高い可能性を感じています。なので、チラシやポスターなどの広告デザインに限らず、企画書など資料作りの際にも、インフォグラフィックの手法や考え方を意識することが多いですね。
—ディレクターとしては、どのような業務をされているのですか?
主に地元(山形県大江町)の地域全体を応援したりするための各種企画のディクレクションを行っています。
地域自体はもちろん、地元クリエイターや、がんばっている人達の活躍を後押しするイベントを開催したり、地酒の魅力を深く掘り下げて広くPRするための企画などに携わっていたりと、様々な活動をしています。
具体的には、紙媒体(チラシ、ポスター、パッケージ等)のビジュアル作成や、企画立案やコーディネート、webサイトの制作やその他映像等の手配を行っています。
「cakes design office」を開業してまだ間もないので、”自分の世界”を深めていくということを「急務の課題」としています。もっともっと、自分の引き出しが広がっていけるように…と考えていますね。
今の仕事に就いた経緯・キッカケ
「地元への意識」に芽生えたキッカケ
私は山形県大江町出身で、大学は山形市にある東北芸術工科大学を卒業しています。
卒業後は一度地元の印刷会社に就職したんですが、2年で退社して大学院に入学しました。その準備の期間、大学院入学の半年前に祖母が亡くなったことで、家族や地元について、ほぼ初めて考えるようになりました。
2011年2月に受験し、入学の準備をしている最中「東日本大震災」が起きた。
受験の段階で「地元の活性化」をテーマに選定していましたが、被災地の復旧復興が叫ばれる状況は、「東北に、地方に、自分の地元に必要なものは何か?」「自分にできることはなんだ?」ということをより深く考えるキッカケになりました。
それまでは「将来的には地元を離れて東京に行こう」と思っていましたが、震災の影響と、大学院時代の研究や活動を通して、徐々に地方中心の頭に変わったように思います。
一度働いてから再度、学生になったということもあり、「今、『アート』『デザイン』ができることは何か?」ということを仕事(職務)という観点を抜きにして探っていくことができる立場であったことも自分の人生にとって非常に大きな転換点になりました。
大学院での研究:地域活性化とデザイン
大学院では温故知新をテーマとして、「グラフィックデザインを活用した地域活性化」を研究していました。
「最上川」ってあるじゃないですか。私の実家は川に近くて、環境として川がなじみ深いものだったんですね。そういう経緯があって、”最上川”を題材に何かすることにしたんです。
大江町は古代から大正初期まで栄えた「最上川舟運」(舟運:川で舟を使って荷物を運搬する輸送)において、非常に重要なターミナル港だったことで栄えた土地なんですが、その歴史をロマンに感じてもらえたら、きっと「自分たちの地元はすごいところなんだ!」と自信を持てるのではないかと考えました。
少なくとも、そこにロマンを求める方はちょくちょく大江町に訪れるらしいんです。
そんな土地ですから、「最上川舟運」の文字自体は町のあちこちで見かけるんですが、いかんせん興味がないので地元民でもよくわからない(笑) だから訪れてくれる方達にも説明ができないんですね。それを自分の出来る範囲で少しでも良くできないだろうかと考えました。
自分がそれを題材にするということはつまり、「歴史」を知る必要がありますよね。
そうすると、歴史を知るためには「文字を読む」必要がある。文献を通して学ぶ必要があります。私にとってはそれが苦痛で(笑) さきほどお話ししたインフォグラフィックの考え方にも繋がる話なんですが。
でも「最上川」にしても、他のものごとにしても、「歴史」のような”知識”や”情報”を知っているからこそ、それを「面白い」と感じるはずなんですよ。
最上川舟運のことは制作の過程でどんどんのめり込んでいき、現在進行形で強く興味をひかれ続けていますね。川の岩盤に江戸時代に掘られたノミの跡が残ってる!と橋の上から身を乗り出して興奮したりしています(笑)
もちろん、知識や情報だけではなくて、アウトドアのように体験して学ぶというパターンもあると思うんですが、基本的にはそうやって触れることで初めて「楽しい」「面白い」と感じられる。
今まで触れてこなかったものに触れて「面白い」と感じることで、自分の世界は広がっていきます。
そういう考えを通して、「うちの地元ってかっこいいんじゃない?」と思ってもらえるようにすることはとても大事だと思いましたね。
この地域活性化の活動は現在も継続して行っていまして、自分なりの提案をできればと日々楽しくさせていただいています。
映像制作会社での学んだ「デザイン」の定義
大学院を卒業後、仙台のビジュアルデザインスタジオ「wow」に所属していた時期がありまして。「wow」は文字通り「新進気鋭のクリエイター集団」で、そこに所属する方々は一人一人が超一流のクリエイターだったんですよ。
そこにUIデザイナーとして入社しました。
「自分の知識や経験を通して、少しでも人が快適に暮らせるようなものを創ることができたら本望」と考えていたんですが、実は入社するまで会社のことを全然知らなくて(笑)
面接を受けさせて頂いたときの面接官お二人が、創設メンバーのうちの2人だったんです。そのお一人が今でも尊敬してやまない憧れのクリエイターさんで、学生の頃からその方の手がけたスクリーンセーバーを知らずにずっと使っていました(笑)
名ばかりですが、その方の直属の部下として様々な考え方に触れさせていただけたことは本当に光栄でした。
当時の自分を優秀な社員だったとは決して言えませんが、自分の世界を大きく広げるキッカケになったと強く実感します。
ここで学んだのは、「デザインはコミュニケーションのためにある」ということで。
コミュニケーションにおいて「言葉」は邪魔かもしれない。なぜなら、言葉は誤解を招くから」なんですね。
たとえば、「話をする側」と「話をされる側」がいる。話をする側は相手から「分かりました」と言われたら、「分かってもらえたな」と普通は思いますよね。でも、結果的にかみ合っていなかったなんていうことのはよくあることです。
だからこそ、誤解を生まないようにデザインする時も気をつけなければならない。
UIデザイナーとして入社する以前から考えていたことではありますが、あらためて「情報を最良の方法で適切に伝達し、コミュニケーションを後押しする」ことこそが、自分が目指しているデザインである、としっかり覚悟を持って考えられるようになったのは、この会社での経験が大きいと思います。
フリーランスとしての活動
その後は、フリーランスで活動していました。
あくまでも個人としてチラシや名刺を作らせていただいたりといったシゴトをしていたんですが、自分の別の可能性を探ろうと思いまして、フリーのシゴトをしつつ、それぞれ違う分野の人間で構成したチームで「地元活性化」の活動範囲を広げ始めました。
大学院のときから継続している地域活性化のテーマ「温故知新」ですが、ある時、「温故知新」は英語にしたらイノベーション(新しい価値の創造)じゃん、ということに気づきまして。
もう既に、自分の地元を含め小規模な町というものは「地元の歴史」というものがあって、それを基にこれから先の100年も続けていこうというわけですから、今までのものを大切にしつつ、さらに”ワンステップ”進んでくれたら、きっと地域は元気になる、そう考えています。
去年、「大江町の博覧会 SHAKE LAB(シェイクラボ)」という小規模ながら町全体を会場にしたイベントを初開催させていただきました。
「博覧会」「SHAKE LAB(ゆさぶりの実験室)」と称して、今までの地元の歴史・文化などを展示しつつ、最新のものも発表するというイベントですね。
そのイベントを通して、第一線で活動している人たちが集まって、さらにコラボレーションしていく。多ジャンルの人たちが活動できるわけですね。
そしてこのイベントも学生の時と変わらず「うちの地元ってすごいかも!」を誘発することを目的にしています。地元の子ども達や地域の大勢の方に喜んでいただけたのが嬉しかったですね。
なんとかやりきった1年目でしたが、一定の効果は出てきていると実感します。
地域を支えるメインの年齢層はどうしても上の層になってきていますが、やっぱり若者がいないと。若者がUターンしてきたときに「可能性あるな」と感じてもらえるような環境を地元発信で作れたらと思います。
今年の秋で2年目ですが、色々な部分でさらに新領域を開拓できるよう準備を進めています。
「cakes」開業から現在まで
現在は、地元「大江町」と仙台でそれぞれ週の半分ずつを過ごすという働き方をしています。
地元ではプロジェクトを管理する立場になったんですが、2つの地域で活動することで様々な人と関われるので、「セカンドオピニオン」を受け取ることができます。
自分が出来る最良の判断を信じて、「顧客の課題を解決する」ということを第一とするのは変わりません。でも片方の中だけでシゴトをしているとどうしても情報や考えや伝え方が偏ってしまう可能性があると思い、あえてそうしています。
仙台の仕事、地元の仕事、双方向からヒントや閃きをもらえることが多いです。本当に様々な方と直接お話することで、より自分の世界が広がっていく今の環境はめちゃくちゃ嬉しいしありがたいことだな、と感じています。
今は「cakes design office」として一人でやっています。「友達が少ない」というのも理由の一つなんですが(笑) 複数の知人をプロのビジネスパートナーとして連携し、シゴトをしています。
でも、大学院の頃の知り合いとは、何かの機会に偶然会ったりしますね。(笑)
そういう出逢い方だと、距離を縮めるのも簡単で。相手も当然プロですから、仕事の相談もしやすいです。そういう意味では、横のつながりも本当に大事だなと思います。
やはり、自分一人でできることって限られてきますからね。ネットを使ってオンラインで「依頼する」もしくは「受託する」という関係でシゴトをするだけだと、連携してゼロから仕事を構築していくような関係は築きにくいですし。
シゴトをともにする仲間に対しては、分野の役割分担として自分の知識や経験を共有することを意識しています。