今回は、「合同会社ジェイドキャット」代表、仙台で中小企業診断士としてご活躍されている細野哲平さんのIKIKATA。
ゲームプログラマーから苦難のキャリアを経て「中小企業診断士」になった細野さんから、今の業務で工夫していること、大切にしている考え方、そして独立開業を考えたキッカケまでをお話しいただけました。
中小企業診断士を目指す方や、独立を視野に入れたキャリアを考えている方にとって「キャリアの創り方」の示唆に富むインタビューとなっています。
具体的な業務
「合同会社ジェイドキャット」代表、中小企業診断士としてシゴトをしています。
企業経営に関して困っているクライアントに対して「どこに課題があるのか?」を見つけ、「解決するためには何をすればいいのか?」を提案する経営コンサルティング業務が中心ですね。
私は、もともとWebエンジニアとしてシゴトをしていたことと、中国に約2年間滞在し、シゴトをしていたこともあるので、それらの経験を活かして、Webを活用した売上拡大や、中国ビジネスに関する支援に特に力を入れています。
—前職で学ばれたことを活かしてシゴトをしている、ということですね。
そうですね、会計事務所で働いていた方や、生産の現場で働いていた方なども、中小企業診断士として活躍されていることが多いです。たとえば、会計に関して知識と経験があるという方は、それを専門分野にしています。逆に、「なんでもできます!」だと、クライアントの方々から見れば、印象に残りづらいのかもしれません。
—中小企業診断士、コンサルとしての役割を果たすというのはつまり、経営課題に対して第三者の視点で解決策を考え、提供するということですよね。そういうスキルは、「経験がものを言う」と思います。そういった経験は、どういったところで積んでこられたのでしょうか?
中小企業診断士としてシゴトを始める前、私はいわゆる「問題解決思考」をとある人の下で学ぶ機会がありました。その人が言うには、「問題は出てきた時点で”7割”は解決しているんだ」と。 問題を解決する際に最も重要なのは、問題を「発見する」ことだ、ということなんですね。
—たとえば、実際に診断士としてシゴトをされていて、「このクライアントの課題のうち一番ボトルネックになっている部分はここだな」ということを発見するのが、何よりも大切なことなんですね。
—具体的に、どのような料金体系でシゴトを受けているのか、また、どのようにクライアントの問題解決をしているのかについて、お話をお伺いしたいと思います。
クライアントとの関わり方は継続的に会社に関わる「顧問」だったり、ある1つの課題に対して支援を行う「スポット」だったりしてまちまちですので、料金というところでは、千差万別になってしまいますね。
「経営課題を発見して、解決策を提示する」という一連の流れの中でも、個々のクライアントに合わせたご提案や問題提起というところを考えなくてはならない。
なので、クライアントと接していて「できる!」と思える提案を考えて実行する、というカタチになります。
—その場合、「この課題に対しての解決策はあるけど、このクライアントにはあの方法は使えないな…」という事態もあるかと思います。その場合は、どうされていますか?
そうですね、私はITエンジニアとしての経験が長いこともあり、「IT関連」の相談を受けることが比較的多いです。でも、相談者によっては、IT関連の知識に疎い方や各種ツールが上手く使えない方もいるので、そういった方が理解できて実行できるご提案をしなくてはなりません。
たとえば、「メールにファイルを添付できるかどうか」で、支援方法も変わってきます。もちろん、ファイル添付の方法はお教えしますが、過去にどうしても出来なくて、しかも急ぎでファイルやり取りをしなければならないことがあり、その時は相談者のところヘUSBメモリを持ってお伺いしたこともありました。
このように初歩的なところからお手伝いする…ということもやらないと、なかなか解決策を実行するまでの段階に行かないというのは、難しい部分ではありますね。
—中小企業診断士としてお仕事を頂く機会には、どういったものがありますか?
我々のような仕事は、お客さんのところに出向いて直接「仕事をください」という形が取りにくいこともあり、先輩の方、他の士業の方からシゴトを紹介のカタチで頂くことが多いです。
特に、仙台のような地方都市で、私のようなシゴトをしている場合はそういったシゴトの受け方が多いと思います。
紹介のカタチでシゴトを頂くにしても、「ここにこういうヤツがいて、シゴトができそうだぞ」という風に、「能力」と「名前」を知ってもらう必要がありますからね。
私の場合は、ちょうど診断士の資格を取得した時期に、中小企業診断士の公式団体である診断協会の事務所に常駐するシゴトを頂くことができた経緯があります。その当時、私自身も事務所を探していましたから、ちょうどよかった(笑) そこでだいぶ顔が広がりました。
「運の良さ」で生きている部分も、もしかしたらあるかもしれません(笑)
—なるほど(笑)
今の仕事に就いたキッカケ
—学生時代から、今のお仕事をするに至るまでのキッカケについて、お話を頂きたいと思います。
起業の失敗
学生時代は「ゲームプログラマー」を目指していたんですよ。そしてそのままエンジニアとして働き始めました。
そのころはちょうど、「iモード」が出てきたあたりの時代でした。日本で面白いコンテンツがたくさん出てきた時期でしたから、当時勤務している会社で「日本で作られているコンテンツを中国でも配信しよう!」ということになりまして。
しかし、当時、まだ中国では携帯電話は電話かショートメールの利用が中心で、日本のようなコンテンツ利用が一般的になるのはもう少し後でした。結局、思うような収益が上がらず、中国での配信事業は止めることになりました。
その後、自分の今後を考えたときに、元々独立願望があったこともあって、ここらで起業してみるかということで、Webやアプリの受託開発を行う会社を立ち上げました。
その会社は、当初は「倍々ゲーム」みたいな感じで、成長していったんですね。今思うと「俺ってスゲー!」と調子に乗っていたと思います(笑) でも3年目くらいからは売上が急激に落ち込んでしまって、あっという間に資金が回らなくなりました。
事業をするにあたって、自分が「知っておくべきこと」を知らず、「身に付けておくべきこと」を身に付けていなかったことが、失敗した原因だと思います。
でも当時はすでに家族がいましたし、ここで失敗したまま終わるのはやはり悔しい。「この失敗を次に活かせば、それは失敗じゃない!」そういう風に考えていましたね。
フリーから中小企業診断士へ
その後は、知り合いの会社とほぼ一社契約のような形を取ってフリーランスのエンジニアとして働いていました。
それと並行して、自分自身の経営に関する知識と必要な能力を身に付けるべく、とある勉強会に参加して自己研鑽をしていました。そこは「経営者として最低限必要なことを身に付ける」ことを目的とした勉強会だったのですが、正直、目からウロコなことが多く、「自分はこんなことも知らないで会社経営をしていたのか」と改めて恐ろしくなったものです。
何年か勉強会への参加を続けているうちに、少しずつ力が付いてきた実感はあったものの、それを客観的に示せるものが無いことに気付きました。そこで目を付けたのが中小企業診断士の資格でした。
中小企業診断士を選んだもう1つの理由
中小企業診断士の資格を取った理由はもう1つあります。
その理由というのは、「会社の経営課題を見つけて解決する」という中小企業診断士の役割と、自分の「やりたい」と思うシゴトが同じだったからなんです。
会社経営に失敗したあと、何人かの起業家仲間から経営について相談を受ける機会がありました。そこで過去の失敗経験をもとに、色々アドバイスするわけですが、それが意外にも喜ばれたのです。それがきっかけで、自分の失敗経験も人の役に立つのかもしれないと思うようになりました。
コンサルタントとしての役割も果たすためには、経営課題等に関する知識と経験がなければいけませんが、少なくとも何をすると失敗するかは身をもって経験しているし、知識についても勉強会等で培ってきたものがある。そこで、中小企業診断士を目指しました。
その後紆余曲折はありましたが、今では食べていけるようにはなりました(笑) 2016年10月で、ちょうど3年になります。
独立と起業ブーム
—中小企業診断士になるまでの経緯をお聞きすると、「なろう!」としてなったのではなく、「自然になった」という感じですね。
最初、エンジニアとしてシゴトをしていたころは「ソフト開発」をしていたんです。いわゆるプログラマーとして、プログラムのコードを書くシゴトは、今でもある程度できるはずです。
でも、プログラマーは特に「新しい情報・知識」を仕入れる「熱意」がないとやっていけない。若くて優秀な人がこれからどんどん出てくるのに、自分はその人たちと戦っていくだけの熱意があるのか。そういった思いがあったんですよね。そんな中で、プログラマーとしての情熱がもはや自分にはないと気づいたときに、自分はこれ以上「上」にはいけないのではないかと。
家族がいて、子どもがいるので、当然シゴトはしなければならない。そんな中で、「自分の持っているカード」をいかに使うか? そういうことを考えましたね。
自分は元々、「縛られるのが苦手」なタイプで、独立願望は元々あったのでいずれは起業したいと考えていました。自分が最初に起業したころは「起業ブーム」だったこともあって、「ITで起業するんだったら上場を目指す」というのが普通…みたいな空気は、当時ありました。
そんな中、自分もそういうテンションでシゴトをしていたわけですけど、あるときふと「自分は、本当にこういうことをしたかったのか?」と気づいてしまって。上場企業の社長という立場に対する憧れはありましたが、必ずしも自分がその立場になりたいわけではなかったのです。上場企業の社長って全然自由ではないじゃないですか(笑)
そういう気づきもあって、「独立する」にしても、今のような働き方を選んだんです。