今回は、株式会社ベーシック 開発本部山形ラボマネージャー、渡邊信生さんのIKIKATA。
IT事業を展開するベーシックに所属しながら、地元・山形へUターン。実際に地元に戻って仕事をしたいUターン志望者のロールモデルとなります。
インタビューでは、山形でITの仕事をするにあたっての心構えや、山形という地域にかかわりながら、リモートワークを行うことのメリットを語っていただきました。
将来、Uターンを考えている方、子育ての一つの方法として地方を考えている方、そしてこれからIT業界を目指す方は必見の「生き方」です。
Contens
具体的な業務
株式会社ベーシック開発本部山形ラボのマネージャーとして仕事をしています。
株式会社ベーシックでは、ウェブマーケティング事業から派生した様々な事業を行っています。
webマーケティング事業「ferret」と「ferret One」
「ferret(フェレット)」は、webマーケティングのノウハウやサービスを紹介するメディアです。
でも、そもそも、「webサイトってどういう風に運営すればいいの?」という声が多く、そのノウハウを提供するために、webメディアという形で運営を始めました。
「ferret One」は、MA(マーケティングオートメーション)ツールのプロジェクトで、私はインフラ担当としてシステムエンジニアをしています。
—「ferret One」は、どのような企業さんに使われているのですか?
業界に関する制限はなくて、法人さんであればどこにでも適用できます。webサイト作成から、アクセス解析やユーザー解析までできるのが「ferret One」で、私はそのシステムのエンジニアとして仕事をしています。
—顧客のニーズにマッチさせる形で事業を変えていったのですね。
ベーシックの会社理念は「問題解決」で、仕事の中で「どんな方法があるのかな?」という部分を意識して事業を展開しています。
だから、「ferret」に関しては、顧客のニーズの大元として「webサイトをどうやって作り、運営していけばいいのか?」という課題を持っているユーザーさんに、情報を提供しようと考え始めました。
それを「ウェブマーケティングの大衆化」と謳っています。
—その他にも、様々な事業を展開されているのですね。
リモートワークで働く
—渡邊さんは、現在仕事をリモートワークで行っているとのことですが、本社とのコミュニケーションはどのように行っていますか?
プログラミング自体は、どこにいようができる仕事なので問題ありませんが、仕事の打ち合わせはSkypeになります。ですから、実際に会って話すよりもその場の「温度感」が伝わりにくいですね。映っている映像に反応するだけになってしまう。
だから、月2回は実際に東京へ顔合わせに行って、温度感を持ち帰る。そういう工夫をしています。
—温度感を含め、コミュニケーションで苦労されていることは?
最初は自宅でリモートワークを始めたんですが、さきほどの「温度感」には苦労したように思います。他のメンバーに気軽に声掛けできる環境にはいないわけですから。
でも、エンジニアは専門職なので集中して作業する必要がある。そのために必要な会議だけに参加するようになった点は、(リモートワークが)自分の仕事にあっているなと思いますね。
専門職、特にデザイナーやプログラマーには、集中できるような環境が必要ですからね。
—リモートワークでは「よかったな」と思えることが多い印象でしょうか?
しかし、何気ない会話の中でアイディアがでることが多いので、その機会がなくなることは寂しいです。
山形では、直接クライアントやユーザーと接点を持った他部署メンバーからの意見を気軽に聞けるという重要なことがしづらいので、それはデメリットのひとつだな、と思います。
今の仕事に就いた経緯・キッカケ
—今の仕事に就いた経緯を教えてください。
バンドのHPづくりでプログラミングに触れる
僕のキャリアは結構異質で、実は20歳のころにバンドで上京したんです。音楽学校に通いながら、インディーズで売れないバンドをやっていました(笑)
そのころ、バンドのHPを作成しようと思ったんですが、そこでプログラムを見様見真似でちょっとかじる機会があったんですね。
「バンドはそろそろ限界かな」と思い始めて、ちょうどそのころはプログラマーにすごく需要があって、普通の会社員よりも給料が高かったんです。当時27歳で結婚したこともあり、「そこに潜り込めたら…」と派遣会社にポンと入ったんです。
最初の会社の面接で「やれる?」と聞かれ、根拠なしに「やれます!」と言ってしまって、「やばい!やれない!」と焦りながら本を読んだり、周囲の人に聞いたりしてプログラミングを学んでいきました。
開発会社でスキルアップし、株式会社ベーシックへ
入社した開発会社は、自分の頭の上を「何億という案件」と飛んでいくような職場だったんですよ。そんな中でタイミングよくサービスを作る経験をさせてもらうことができたんです。
プログラムの品質チェックとして、プログラミングのコードを紙に出して、「この部分、なんでこうしてんの?」と複数人でコードレビューをしてもらえる環境だったので、かなり鍛えられたと思います。
—濃密な3年間だったんですね。
その後、次の仕事をどうするかというタイミングになったときに、「面白いサービスを作っている会社に入りたい」と思ったんですね。そこで「株式会社ベーシック」を見つけて入社しました。当時はベーシックも設立3年目くらいで、ベンチャー、スタートアップみたいな感じでしたね。
ベーシックに入社したあとは、一週間で一つのサービスの責任者を任せられたんです。「このサービス任せるからよろしく」と(笑) というのも、前職での経験、具体的には「Linuxサーバー」に詳しいという点で自分が選ばれたという経緯がありました。
山形へのUターン
2009年に娘が生まれまして、その子が賑やかな子で(笑) 当時東京のアパートに住んでいたのですが、走り回ったり、奇声を発していたり…と大変でした。
また、仕事は楽しいけど忙しく、毎日終電みたいな感じだったので嫁の負担はとても大きかったんですね。
そのような環境を改善したいなと思って、地元・山形でのんびりできるといいな、と考えました。
山形のIT企業への転職も考えていましたが、受託がメインだったり、山形から東京への出向だったり(笑) ITの仕事を山形で行うという選択肢が少なかったんです。
そこで、世間一般にはリモートワークという概念が浸透していない時期ですから、一度フリーランスとして仕事をしつつ、山形で子供を育てるという方法が一番現実的だったんです。
でも、社長には「これからはそういった多様性があっていいだろう」と仰っていただけて、快諾してもらえたんですね。そのころから、介護離職や子育てのために辞職をせざるを得ないという社会問題が出てきていましたからね。
そこからは山形で1人リモートワークをしていたわけですが、寂しくなりまして(笑) 事務所を構えたんです。以前の開発会社で働いていた子が山形に来たので、その子を引っ張ってきて、山形ラボを開設しました。
—事務所には、Uターンで来られた方々が何人かいらっしゃるということでしょうか?
間違いなく山形にUターンしたいというニーズはあって、たとえば東京で開かれた山形Uターンフェアがキッカケでうちに来た人や、人材紹介会社を通じてうちに来てくれた人もいます。
仕事で工夫していること・考えていること(職業観・ポリシー)
プログラミングはユーザーと繋がる「手段」
「自社サービスをやりたい」という思いを持っていて、実はプログラミングは好きではない。むしろPCが嫌い(笑) 結構社内でもこういうことを言っていますよ。「パソコン、嫌いです」と(笑)
プログラミングは好きではない。けれども、画面の向こうには(サービスを使ってくれる)ユーザーがいる。ユーザーと繋がることができる手段がプログラミングだっただけだと考えています。
ユーザーと繋がる仕組みを実現するために必要な技術を勉強する必要はあるけれども、まずはユーザーさんのことを考えていく。「こうやったらユーザーさんが使いやすいよね」という考え方でサービスを作っていくということですね。
—エンジニアさんは、たとえば「きれいなプログラムコードを書く」とか、「機能を実装する」とか、そういうことが好きな方が多いと思います。渡邊さんや、会社の方々はどうでしょうか?
「このプログラミングはかっこいい!」という人は周りに多いですよ。でも自分はWebサービスをプログラマーとして作ることのほうが楽しいなと思うタイプなんです。なので、プログラミングではなく「サービスをかっこよくしたい」という思いでやっていますね。
プログラミングはあくまでも道具でしかないという考えです。
「問題解決」のための”問い”
—サービスを作り上げていくときに、ほかのプロジェクトメンバーの方々と同じマインドを持つ必要があると思います。そのときに気をつけていることはありますか?
うちの会社は「問題解決」が理念なので、まずは「なんのためにこのサービスを作るんだ?」というところを考えますね。盲目的に作り始めると、もう延々と作っちゃうので、まずは「ユーザーさんが使いやすくなるようにやっているんだよね」ということを意識しています。
(「なんのために?」という)根本的なところを考えて、もちろんその問いに答えられなくても全然よくて。まずはそういった問いの「意識づけ」ができれば、という思いでやっています。
プログラミングのコードの書き方は、同じ動作でも様々な書き方があります。なので、「ここはこの書き方がいいよ」というつもりはまったくなくて。ただ、「この仕事は何のためにやっているんだろう?」という部分をしっかり考えていますね。
渡邊さんのような職種・業種に必要なスキル
—リモートワークを始める際に、社長さんに快諾してもらえたというお話をお聞きしました。具体的には、会社の文化として新しい考えや働き方を作るという流れがあるのでしょうか?
社長が、「多様性を受け入れる」というスタンスで、それぞれ色々な生き方があるのに、それを会社が拘束するのはもったいないという考え方を持っているんです。
たとえば、この会社で働きたいけど、個人の事情で難しいという場合に「こういう働き方ができるよね」という風に会社が許容してくれるならば安心できますよね。
また、うちの会社では、ハッカソンや勉強会など、色々なイベントを催しているんですよ。
去年は、学生インターンを呼んで、学生のハッカソンを開催した後に、大人ハッカソン、つまり社員によるハッカソンを開催したり。
そういった流れが会社では昔からあったので、それはぜひ山形の事務所でもやりたいなと思っていますね。
—色々な働き方、チャレンジができる文化を作っていく、ということですね。
新しいものが生まれる環境がないと、だんだんつまらなくなってくるじゃないですか。ハッカソンだとか、そこから新しいものが生まれることって重要だと思うんですね。
情報のキャッチアップはより意識的に
—「株式会社ベーシック」さんは、新しいことにチャレンジする文化が具体的に根付いているとのことでした。新しいことにチャレンジする文化を作っていくためには、新しい情報を取り入れる習慣がなければいけないと思います。その部分で、渡邊さんが取り組まれていることは何でしょうか?
今の環境だと、「ユーザーの生の声」が聴きにくい。結局ネットで探したり、首都圏にいるエンジニアに話を聞いたりするしかないんですね。東京にいるころは勉強会やイベントにも参加できていましたが、山形ではそういった機会が少ないですからね。
東京に住んでいると、特に自分から情報を取りに行かなくてもよくて、周りの人と話しているだけで情報が入ってきます。
職業柄、新しい技術を使うことが多いので、情報をキャッチアップすることができるように、周りの情報がすぐ見れるように意識している部分はありますね。
渡邊さんのような職種・業種を目指す方々へのメッセージ
地方でITを仕事にするべき理由
—地方でITの仕事をしたい方々に対して、渡邊さんからアドバイスをお願いします。
山形のような地域では、東京と比較してしまうと、情報が遅れているとは思います。
義務教育では、これからプログラミング学習が必修になりますよね。プログラミングのような技術が「当たり前」になっていく。状況がどんどん変わってきています。その流れの中で凄く面白くなっていくと思いますし、一緒に仕事ができる人がそばにいる環境になっていくのは凄くいいことだと思います。
たとえば、島根県ではITが盛んです。具体的には、島根県松江市のRuby City MATSUE(ルビーシティマツエ)プロジェクト。
このようなITによる地方創生の流れを、山形でもやれるように今から”種まき”しておくべきかなと考えています。
山形で子育てをするメリット・デメリット
—渡邊さんは、元々「子育て」が理由で山形へUターンしてこられました。山形で子育てをするメリットは、どんな点にあるのでしょうか?
やはり「のびのびと育てられる」ことです。私自身、静かに暮らしたいという思いが強いのもありますね。
たとえば、東京で暮らしていたら子どもが公園で遊んでいるだけで怒られるなんてことがあります。山形では絶対にありえない。「むしろ遊んでほしい!」という意見のほうが多いくらいだと思います。子どもを育てる環境としてはとてもいいなと感じています。
生き方として、子どもが小さいうちは山形で暮らすのはいいと思いますが、子どもが大きくなったら進学に合わせて引っ越す可能性もありますね。そういったライフスタイルに合わせた暮らし方ができると、イチバンいいのではないかという思いもあります。
—「ここで一生暮らす」ということではなくて、自分のライフステージに合わせた住み方、生き方があるということですよね。ありがとうございました!